大判例

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名古屋高等裁判所 昭和26年(う)1952号 判決

竹内兼三郎において、被告人が小切手を持つているといつたのに、同人から該小切手を手にも取らず、又一覧を求めなかつたことは所論の通りであるが、証人竹内兼三郎の原審右公判廷での「被告人は、他から受け取つた額面、三万円の小切手を持つているが、一月二十五日渡りであるので、今日の金にはならない。後でないと金が入らないから、この小切手を置いて行くといつて、手帳を出して、それらしいものを出したが、私は手に取つて見なかつた。被告人は悧口な人であるから信頼して居つたので、小切手が有るものと思い、その様に信じた。私は小切手があるというのを一応信用して貸した。貸した当時には、被告人にだまされて金を出したとは思わなかつたが、後になつてだまされたと思つた」との趣旨の供述より判断すれば、竹内は、現に、被告人が手帳から取り出して見せたものを目撃して居り、且つ、それを被告人が小切手云々と云つていたので、まさしく小切手であると思い、其の上、被告人が小切手についての、上敍のような詳細の説明をしたので、是れ亦その通りの有効小切手であるものと信じてしまつて貸付けしたのである。左すれば、論旨のように竹内が金融するや否やの意思決定について、該小切手が聊かの因子をもなして居らない訳ではなく、否寧ろ論旨の所謂因子をなしたものであり、且つ論旨のように、小切手の有効無効が貸付意思決定上少しも要素となつていないのではなく、要素になつていて、所論のように「小切手なくとも唯単なる信用貸し」でないことが判る。

所論は、要するに前顕証言中における竹内が被告人を信用していたとの竹内の信用の対象が、唯単なる被告人個有性にあつたのであるから、小切手は該貸付意思の決定には、聊かも因子となつていないというのであろうが、本件具体問題においては、敍上のとおり竹内が、そのように信じたというのは、同人の平素の信用から、益々被告人がその言明の如き有効な小切手を現有するものと信じたのである結果、その言明のものを披見するため手に取らなかつたに過ぎなかつたものと推測し得べく、右小切手は有力且つ相当性ある貸付因子であつたものと謂わなければならない。而して詐欺罪においては、欺罔行為によつて、相手方の錯誤が如何なる部分に生ぜしめたかを問わぬ。従つて錯誤が法律行為(本件に付いては金銭消費貸借契約並びにその履行々為)の要素たることを要しないから、所論小切手が貸付意思決定の一因子であること上敍の通りであり且つこれについて竹内において錯誤ある以上、欺罔行為は完成すべく、敢て該錯誤の内容が重要なりや否やには影響がないのである。

(後略)

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